夢に突き動かされて今がある。新しい挑戦を続ける女子プロサッカー 川澄奈穂美選手
なでしこジャパンの顔として、金メダルを獲得した2011年FIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会、銀メダルだった12年ロンドン五輪など世界で活躍してきた川澄奈穂美選手。今シーズンから再びアメリカのスカイ・ブルーFCでプレーするトップアスリートは、常に新たな自分を追い求めてピッチに立つ。女子サッカー界をけん引し続ける川澄選手のサッカー人生と素顔に迫りました。
——これまでのサッカー人生を振り返って、特に思い出深い瞬間や出来事をお聞かせください。
たくさんありますね。たとえば、大学時代。部活ですから、チームのすべての選手がトップリーグを目指すわけではありません。初心者もいれば、競技人生を終える選手もいる。それぞれに違う立ち位置の選手が集まっても、サッカーを通じて55人もの部員が一体になれるんだと感動したことがありました。その後、2008年にINAC神戸レオネッサに入団し、日本代表に選んでいただいて、ドイツ・ワールドカップで優勝したことは、今思い出しても特別な瞬間。2012年のロンドン五輪と15年のカナダ・ワールドカップでともに準優勝に終わって悔しかったことも思い出深い瞬間です。どれも私にとってはかけがえのない経験ばかりです。そして何よりそういった場所に自分が居ることができたのは、仲間やスタッフ、応援してくれるファンのみなさんがいたからこそ。本当に周囲の人や仲間に恵まれているサッカー人生だと思います。そしてそういう経験は誰もができるわけではない、ということを最近は身に染みて感じています。
——特別な瞬間となったワールドカップ・ドイツ大会での快挙は、多くの方に感動を呼び、女子サッカーの認知度を高めるものでした。
それ以前は、「なでしこ」と言っても女子サッカーと結びつかない方が多かったと思います。でも、あのワールドカップ優勝から「なでしこ」と言えば「女子サッカーね」と多くの方がすぐにわかってくださるようになりました。女の子がサッカーをするのも、普通なのだと認識されるようになったことは本当にうれしかったですね。ドイツ大会が開催された2011年は東日本大震災が発生して、多くの方が大変な思いをされている中、日本に元気を届けられたらと思っていた私たちは、逆に多くの支えをいただいて大会に出場しました。東北のみなさんも含め、日本中から送られてくる声援は試合を追うごとに大きくなって、優勝が決まったときには、この勝利は、みなさんのパワーがひとつになったことで勝ち取ることができたのだと強く感じました。
ワールドカップでの優勝は私にとって夢でした。そのためにしっかりトレーニングをするのはもちろんですが、みなさんのサポートがあってこそ、夢をかなえることができた。その勝利は、強い気持ちを持ってプレーすれば世界でも日本は勝てるということを実感させてくれましたし、大きな自信にもなりました。帰国してからも、「感動をもらいました」「また頑張ってね」と言って、ワールドカップ優勝を自分のことのように喜んで、その気持ちを伝えてくださるみなさんがいた。その姿を見たときには、本当にサッカーをやっていてよかったなと心の底から思いました。
小学校2年のときからサッカー選手になると決めていた
——川澄選手の中心にあり続けるサッカーですが、そもそも始めたきっかけは?
3つ上の姉が先にサッカーに興味を持ちまして、私が幼稚園のころに姉が先に入っていた地元の小学女子サッカーチームの林間SCレモンズの練習についていって、サッカーボールを蹴ったのが始まりです。チームに入れるのは小学校2年生から。それまでは、端っこのほうでボールを蹴らせてもらったり、手の空いている保護者の方やコーチと一緒に練習をしたりしていましたね。もともと活発で外で遊ぶのが好きな子どもだったので、その流れでいくとサッカーを始めたのはごく自然なことだったと思います。
——その後、チームに入ってプレーをして、サッカーがますます好きになった?
楽しくて仕方がなかったですね。チームに入ったばかりの2年生のころには、すでに学校の文集に「サッカー選手になる」と書いていたみたいです。6年生の文集に書いたのは覚えていたんですが、同級生のお母さんにドイツ・ワールドカップが終わってから、2年生のときの文集を見せてもらって「これ、なーちゃん(川澄さん)のだよ」って。そのときに、そんな小さいころからサッカー選手になりたかったんだなぁとあらためて思いましたね。
——最初のサッカーのライバルはお姉さん?
姉もそうですが、小学校時代の林間SCレモンズには、同じくドイツ・ワールドカップで優勝したメンバーで、今もアルビレックス新潟で10番をつけてプレーしている上尾野辺めぐみ選手がいました。彼女がチームに入ってきたのが2年生の終わりごろ。同い年ということもあって、ライバルであり親友でもあり、そして追いつきたい存在でもありました。私にとって、彼女は小さいころから特別で大きな存在です。後に同じ日本代表として一緒に戦う仲間が、ずっと隣にいたというのは不思議な感覚で、すごく縁を感じます。
——中学から高校にかけては地元の女子サッカークラブ大和シルフィードでプレーし、日本体育大学でも活躍されました。大学4年生のときに左ひざ前十字じん帯断裂の大ケガに見舞われました。
大学では、U19の候補合宿から始まり、そのメンバーに選んでいただきました。その後、2年生のときにはユニバーシアード大会にも出場しました。なでしこチャレンジ(なでしこジャパンに挑戦する選手たちを発掘・育成・強化するプロジェクト)にも呼んでいただいて――。そんな中、大学最後の年の4月に大ケガをしてしまった。当時は前十字じん帯がどこにあるのかも知らなかったし、リハビリに8カ月もかかることも知りませんでした。それまで大きなケガをしたことがなかったので、すべて初めての経験でした。でも、その経験を自分のプラスにしようと考えました。もちろんショックも大きかったし、選手としてケガは絶対しないほうがいいに決まっていますが、今振り返っても、リハビリ期間は自分の体と向き合うための良い時間になったと思います。ケガによっていろんなトレーニングメニューを知ったり、いろんな出会いや仲間の支えがあったり。ケガをしたからこそ出会えた多くのものは、今でも私の中でプラスになっています。そういう経験があったからこそ、トップリーグに入ってからも自分の体は大切にしなくてはならないと思えたし、今もそう思っています。
——その経験と思いが、これまで長くプレーし続けている原動力のひとつになっているところもあるのでしょうか。
「サッカーが好き」という気持ちもそうですし、それ以外にも長くプレーできている要因はたくさんありますけど、あのケガを治すまでの時間は決して無駄ではなかったと思いますね。
海外で新しい自分を発見できるのが楽しい
——今年2021年シーズンは、19年シーズンもプレーしたアメリカのスカイ・ブルーFCで再びプレーされます。今年は、どのようなモチベーションで戦うのでしょうか。
今シーズンは4月の初旬からカップ戦を行って、5月中旬から11月までリーグ戦をやることが決まっているんですが、コロナ禍で状況がどうなるかわかりません。それでも、試合に対するワクワク感は大きいですね。2014年シーズンに初めてアメリカでプレーして以来、「こんなこともできるんだな」って、毎年のように新しい自分に出会える。海外へ行ってから怖いもの知らずになっていろんなことができるようになりました。今は、それがすごく楽しいですね。
——アメリカでプレーすることは、川澄選手にとって大きな意味を持っているんですね。
もともと私は海外志向の人間ではありませんでした。子どものころから代表に入って世界で戦いたいとはずっと思っていましたが、海外のリーグでプレーしたいとは全然思わなくて。ワールドカップで優勝した後も、オリンピックで準優勝した後も、その考えは変わりませんでした。でも、INAC神戸レオネッサに在席していた2013年に「来年、私は海外にいるな」と急に思ったんです(笑)。当時の環境にまったく不満はなかったのですが、なぜかそのときに「海外にいる自分」をイメージしたんです。そして実際に行ってみると、イメージしていた通りのこともあったし、想像していた以上のこともあった。アメリカにはアメリカのリーグでしか味わえないものがあって、一方で日本には日本でしか味わえないものもあることをあらためて知る良い機会になりました。それは日本と海外のどちらが良いということではなくて、例えるなら、ディズニーランドも楽しいし、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンも楽しいみたいな感じです(笑)。ただ今は、アメリカでプレーすることがすごく刺激的で、その感覚をこれからも味わいたいと思っています。
——アメリカでの生活にも慣れたと思いますが、健康管理や体力維持の部分で大切にしていることはありますか。
小さいころからよく食べていて、今でも好きな「パイの実」を食べることです! 私は自分にストレスがかかることが好きではないので、好きなものを好きなだけ食べるんです。食事制限をせずに、甘いものに揚げ物や焼き肉もいっぱい食べます。もちろん、アスリートである以上は毎日夜中にラーメンを食べるといったようなことはしないのですが、好きなものを食べつつも起床や就寝を早くしたり、規則正しい生活はしています。自分の中で当たり前になっている習慣を守れば、おのずと健康管理になっていくと思っています。
——川澄選手がホッとする瞬間はどんなときですか?
アメリカでは、練習が終わって帰宅すると、自分の時間をすごく作れるんです。そういうときに、お茶を入れてお菓子を食べます。誰にも邪魔されない、誰にも奪われたくないその時間がすごく好きですね。お茶を飲みながら、日本から持っていく「パイの実」や「コアラのマーチ」を食べる時間がマックスに幸せですね(笑)。
——そんな幸せな瞬間も感じながら、これからも続くサッカー人生ですが、川澄選手にとってのサッカーとは?
これまで、サッカーは自分のすべてだと思っていました。もちろんそのことに変わりはありませんし、サッカーを軸に生活しているのは事実ですが、最近は「川澄奈穂美」らしさを一番表現してくれるものがサッカーなんだと思うようになりました。好きな料理をしているときやお菓子を食べているとき、友達と過ごしているときもそう、みんな川澄奈穂美なんですが、サッカーをしているときが、自分らしさを一番輝かせることができると今は感じています。
私は、「夢」という言葉を大切にやってきました。夢があったから今があるし、それが自分を突き動かす原動力になってきました。どんなときでも、そばに夢があったとつくづく思います。いまだに試合に勝ったらすごくうれしいし、できないことがあれば悔しい。その思いが年々強くなっているような気がします。子どものころって、悔しいことがあれば本気で悔しがる。それが原動力になって成長するものだと思うんですが、大人になれば、その思いは薄れてしまいがちですよね。でも、私は小学生のころよりも今のほうが本気で悔しがっているし、そういう感情表現が年齢を重ねるたびに大きくなっているような気がします。
——これからもサッカーを通して新しい自分と出会う旅は続いていくのでしょうね。
そういう気持ちがある限りは、サッカー選手としてプレーし続けると思います。
取材・文 佐々木 亨
2021-02-16