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千葉ロッテマリーンズ場内アナウンサー・谷保恵美さん

千葉ロッテマリーンズの本拠地、ZOZOマリンスタジアム——。球場を盛り上げる美声の場内アナウンサーが、いつも明るい笑顔を絶やさない谷保恵美さんです。2019年7月30日、アナウンス担当29年目にして、前人未到の1軍公式戦通算1800試合を担当するという偉業を成し遂げました。かつて、場内アナウンスという憧れの仕事に就くために「各球団事務所に電話をかけ続けた」という谷保さんに、この仕事の魅力を伺いました。

野球に携わる仕事をしたい——。最初は、経理職として入社

アナウンスの技術は独学で身につけた
アナウンスの技術は独学で身につけた

——1軍公式戦通算1800試合担当、おめでとうございます。試合後は鈴木大地選手からウィニングボールや花束が贈られ、ヒーローインタビューのお立ち台にもあがっていらっしゃいましたね。

ありがとうございます。お立ち台にあがるなんて、人生初! 最初は遠慮していましたが、スタッフから「記念だから」と後押しされたんですよ。ファンの皆さんの声援もうれしかったです。ウィニングボールをいただくのは、1700試合担当の時に続いて二度目。宝物として、お立ち台での記念写真とともに自宅に飾っています。

——他の球団では何人かで交代しながら担当されるケースが多いようですが、谷保さんは長らくお一人で担当されてきたからこそ到達した、偉大な記録ですね。もともと、この仕事に興味を持ったきっかけは何でしたか?

父親の影響もあって、子どものころから野球が好きでした。高校野球をテレビで観ていたときに場内アナウンスを聞いて、幼いながらにこういう仕事があるんだな、と思っていました。野球好きが高じ、高校、短大時代は大学の野球部のマネジャーに。大学野球のリーグ戦は、各校の女子マネジャーが場内アナウンスを担当していて、そのときに初めてアナウンスの機会に恵まれました。いつかやってみたいと思っていたことなので、ずいぶん準備して臨んだんです。すると試合後、野球部の先生が「初めてにしてはうまいね」と褒めてくださいまして(笑)。ますます、アナウンスをやりたい気持ちが募っていきました。

——卒業後も、場内アナウンスを仕事にしたい、と考えていましたか?

卒業後は北海道で家業を手伝ったり、別の仕事をしたりするかたわら、社会人野球などの試合があると、場内アナウンスをさせてもらっていたんです。それから次第に、場内アナウンスを仕事に、という思いが強くなりました。もっとも、当時は情報がほとんどなくて……。野球雑誌で電話番号を調べて、プロ野球の各球団事務所に問い合わせ、場内アナウンサーの求人はないか、尋ねまわっていました。2、3年粘っていると、ロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)から「履歴書を送ってみてください」というお話をいただき、すぐに上京して。面接でも一応は希望を伝えたものの、「場内アナウンサーは今のところ空きがなく、難しいかもしれません……それでもいいですか」と念を押されました(笑)。ただ、とにかく野球が好きで、野球に携わる仕事がしたかったので、お世話になることになりました。

選手名のコールで語尾が上がってしまうのはなぜ!?

アナウンス室の中から絶えず、グラウンドやスタンドに気を配る
アナウンス室の中から絶えず、グラウンドやスタンドに気を配る

——ところが入社した翌年の1991年、場内アナウンサーに抜擢されたそうですね。

はい。1軍担当だった先輩が辞めることになり、2軍の担当者が1軍に配置転換。それに伴って2軍に空きができ、私に声がかかったんです! しかし、抜擢されたからにはいち早く戦力にならなくてはなりません。時間を見つけては球場に足を運び、プロ野球の場内アナウンスはどういうものか、自分なりに学びました。浦和球場で初めて担当した2軍の試合は思い出深いですね。このときは本当に緊張して……。マイクのスイッチを入れたり切ったりして、最初の声がうまく出せませんでした。

——2軍でアナウンス技術に磨きをかけ、1991年8月9日の対日本ハム戦が1軍デビューの日となりました。

試合の進行がどうだったかはあまり覚えていませんが(笑)、当時の本拠地だった川崎球場の照明と、その光が反射する人工芝のキラキラとした感じはよく覚えています。——あぁ私は今、1軍の試合でアナウンスしているんだな、と。選手たちも大きく見えました。

——当時から変わらずに、試合中のアナウンスで大切にしていることはありますか?

はっきりと伝える、はっきりと聞き取れるように話すことです。海風でおなじみのZOZOマリンスタジアムは、スピーカーを通した声も風で流されやすいので、ゆっくりとしゃべるようにしています。あとは、自分が元気でいると、明るい声が出せるもの。いつも元気で明るい気持ちでいよう、と心掛けています!

——1992年に1軍本拠地が千葉に移転してからも担当されていますから、思い出も多いのでは。特に、2016年に引退したサブロー選手が打席に入る際、谷保さんの「サブロ~~~」と語尾を伸ばすコールは印象的でした。

サブロー選手に関しては、本人のリクエストがきっかけでした。当時ルーキーだったサブロー選手に「特別な感じでコールしてくださいね」と言われました。とはいえどうしたものか考え悩んでいたところ、サブロー選手の活躍とともに自然に少し語尾が伸びるようになりました(笑)。また、マリーンズを長年支えてきた福浦和也選手も、今シーズン(2019年)限りでの引退を表明していますが、実は、「FUKUURA」と「U」が続く、福浦選手のコールは難しくて(苦笑)。20年以上悩みながら試行錯誤してきましたが、それも今年で終わってしまうかと思うと、少しさみしいです。

——そういえば、マリーンズの選手を呼ぶときは、語尾が上がるようにも聞こえますが。

語尾が上がって高い声になるのは、マリーンズの選手を呼ぶときはどうしても力が入ってしまうからでしょう(笑)。相手チームの選手をコールするときは基本に忠実なアナウンスですが、それがかえって抑えたトーンに聞こえるのかもしれません。私としては、コールするタイミングが大切です。登場曲を聞きつつ、選手が打席に入るまでの動きを追いかけて、頃合いを見計らっています。選手のルーティンや試合の進行の妨げにならないように意識しています。

夢は「優勝でございます」というアナウンス

——なるほど。スムーズに試合を進行させることも、場内アナウンサーに求められる役割ですね。

はい。そのために欠かせないのが、電波時計、双眼鏡、スコアブックです。正確な時間を把握するのに必要なのが、電波時計。アナウンス室のあちこちに置いています。試合前のセレモニーなどで時間が押してしまいがちですが、映像や音響担当のスタッフたちも目を配り、開始予定の時間には試合が始まるよう、時間を管理しています。双眼鏡は、手際よく選手交代をアナウンスするために手放せません。試合中、双眼鏡でベンチのあたりをうかがって、交代しそうな選手を探ります。もちろん主審が選手交代を伝えに来ますが、それを待ってしゃべり出すと、もたついて、試合が再開してしまった、なんてことになりかねません。そうならないように先を読み、「次の回、ピッチャーが代わりそうだ」「試合も終盤に差し掛かり、守備を交代する選手はいないか」とチェックしておく。主審の伝達は最終確認くらいの気持ちです。

——スコアブックは、どのように活用しているのでしょうか?

打席での結果をつけています。選手がヒットを3本打つと「猛打賞」などの記録をアナウンスするのに備えています。選手交代のときにも便利です。4色ボールペンを使って、基本は黒で書き込み、ヒットは赤、交代は青、その選手がまた交代したら緑、と色を変えていく。スコアブックをパッと見てしゃべるため、色に変化があると視覚的にもわかりやすいんです。

——球場を盛り上げるには、細かな工夫があるのですね。やりがいを感じるのはどんなときですか?

試合ごとに緊張感、臨場感があって、野球の醍醐味に間近で接していられることが喜びです。無事に進行の役割を果たし、「試合終了でございます」と言い終えたときは充実感があります。そして、いつかは本拠地で「優勝でございます」とアナウンスしたい! 2005年と2010年にマリーンズは日本一になりましたが、どちらもビジターの球場で決まっていますので。優勝したその瞬間の喜びを、スタンドを埋め尽くしたファンの皆さんと分かち合いたいですね。ぜひとも叶えたい夢です。

——ファンの皆さんも、楽しみにしていると思います。スタンドでの応援は、球場での野球観戦の魅力ですからね。

そうですね。息の合った掛け声や手拍子、ジャンプなどで「参加すると楽しい」と言われる一体感のあるマリーンズファンの応援は、ZOZOマリンスタジアムならではの楽しみだと思います。そういった方はもちろん、昔に比べて最近は家族連れの方も多くいらっしゃいます。私たちも「球場グルメ」やファンサービスに力を入れていて、それを楽しみに多くのお客さんが来場してくださることがうれしいです。

ロッテの「のど飴」と
ロッテの「のど飴」と

——声を使う仕事ですから、のどのケアで気をつけていらっしゃることは?

うがいと手洗いは欠かさず、風邪予防に努めています。寝るときはのどや肩を冷やさないようにタオルを首に巻いています。過去、最も大変だったのは、2005年の最終戦。それも、“ミスターロッテ”初芝清選手の引退試合の日でした。球場に来て熱を測ると、なんと40度! 声は出ていたのでその日も担当しましたが、アナウンスのたびに椅子にもたれかかり、なんとか試合終了まで続けました(笑)。というわけで、日頃から口の中の乾燥を防ぐために、のど飴を愛用しています。アルコールも好きなほうでしたが、コンディションを保つため最近はあまり飲まなくなりました。

——最後に、好きな言葉は何ですか?

幼いころ、祖母によく言われていた言葉で、「感謝」「謙虚」「思いやり」です。この3つはいつも心にとめています。試合前に強く意識するのは、今日も担当できることへの感謝の気持ちです。そして、球団に入ったころの謙虚な気持ちは、忘れないようにしたいと思っています。

取材・文 鳥居裕介

鈴木大地選手のメッセージ

選手たちが気持ちよくプレーできるのも、谷保さんのアナウンスがあるからだと思っています。自分も、谷保さんの声に後押しされて、打席に入るようなイメージがあります。毎試合、体調を維持し、素晴らしい声を出し続けるというのは本当にすごいこと。次は2000試合を目指して頑張ってください。そしてこれからも、声で後押ししてください!

レオネス・マーティン選手、岩下大輝投手、鈴木大地選手(後列左から)とともに、人生初のお立ち台に
レオネス・マーティン選手、岩下大輝投手、鈴木大地選手(後列左から)とともに、人生初のお立ち台に
谷保恵美(たにほ・えみ)
谷保恵美(たにほ・えみ)
北海道出身。幼いころから野球が好きで、高校、短大時代は野球部マネジャーを務め、大学のリーグ戦で初めて場内アナウンスを担当する。1990年にロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)に入社。翌1991年、2軍に空席ができたことから、念願の場内アナウンサーに抜擢された。同年8月9日の対日本ハム戦で1軍デビューを飾る。2019年7月30日の対オリックス戦で、1軍公式戦通算1800試合担当を達成。なお、連続試合担当も継続中で、2019年8月10日の対西武戦では1600試合連続担当に到達した。主催試合のない日やシーズン終了後は、広報業務でも手腕を発揮する。オフの楽しみは旅行。
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