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和田康士朗選手

2018年に育成選手として千葉ロッテマリーンズに入団した和田康士朗選手。今年6月に支配下選手となると、プロ初スタメンとなった8月16日の北海道日本ハムファイターズ戦で3安打3得点3盗塁の大活躍! 今シーズンもっともホットな活躍をしたプレーヤーの一人だ。50m5秒8の俊足を生かして、チームのクライマックスシリーズ進出にも貢献したスピードスターのこれまでの野球人生と素顔に迫りました。

——6月に育成選手から支配下選手となり、晴れて一軍のプレーヤーとなりました。レギュラーシーズンを全うし、クライマックスシリーズでも一軍の舞台で戦い続けた今年は、和田選手にとってどんなシーズンとなりましたか。

今年は育成3年目としてスタートしたシーズン。6月に支配下選手になった時は、素直にうれしくてホッとしたのを覚えています。実際に一軍でプレーして感じたことは、二軍とはベンチの空気感がまったく違うということ。接戦も多いので、1点を奪いに行く思いと姿勢というのは一軍と二軍では大きな違いがあると感じました。そういう意味でも良い緊張感をずっと保ってプレーすることができたと思います。ただ、結果的にシーズンを通して一軍にいられるとは思っていなかったので自分としてはビックリというか、上出来なシーズンだったと思います。

——プロ初スタメンとなった8月16日の試合では3安打3得点の活躍。そして、和田選手の真骨頂とも言える「驚異の走力」で3盗塁を決めました。あの試合での気持ちの高ぶりは相当なものがあったと思います。

気持ちの高ぶりというか、とにかく「緊張」がすごかったですね(笑)。試合前のロッカールームでは、特に緊張していました。ただ、スタメンで出場する以上は、自分に求められている仕事をしっかりとしようという思いが強かった。僕の役割は、とにかく出塁すること。その中で、一打席目でヒットを打って出塁できてよかったです。そして、初球から盗塁を決められた。出塁したら「盗塁する」と、初めから決めていました。

——和田選手の代名詞と言えば、その脚力です。走塁や盗塁への期待が多い中で、どういう心構えでグラウンドに立っているのでしょうか。

盗塁はスタートが一番大事だと思っています。しっかりとしたスタートを切るためには覚悟や勇気も大切になってくる。盗塁のための準備は常にしていて、例えば試合前に相手投手のデータを確認して、盗塁に必要な情報を頭にインプットしておくことは心掛けています。また、代走での出場もあるので、試合中は「この場面では」とか「この打者の時には」と常にシミュレーションをしながら、走る準備をしています。盗塁を成功させるためには、そういう準備が大切だと思っています。

一度はあきらめた、でも野球への思いは熱かった

——そうしてプロの一軍で活躍する選手になった和田選手ですが、過去に一度、野球を断念した時期がありました。

中学2年の時です。痛めた時期は違うのですが、両足の股関節をけがして、治ってもなかなか感覚が戻らずに野球が思うようにできなかった時期がありました。その時に「これが自分の実力なのかな」と思い込んでしまって……。「野球はもういい」と、野球を離れたのが中学生の頃でした。その後、進学した地元の埼玉県立小川高校では、純粋に「足をもっと速くしたい」と思って陸上部に入部しました。

——ただ、野球への思いは再燃する。再び野球の世界へ戻る大きな出来事があったと。

高校野球をやっていた友人が1年生の夏からベンチ入りを果たして夏の大会に出場するのを知りました。応援しようと思って、僕はその友人の試合をテレビで見ていました。そこにはベンチ入りしながら、真剣に野球と向き合う友人の姿があった。そして、友人がいる山村国際高校が、強豪校の花咲徳栄高校に勝って……。下馬評を覆す勝利に、僕は素直に感動して、すごく勇気をもらったんです。その一戦をきっかけに、改めて「野球がやりたい」と思うようになりました。

——まさに人生のターニングポイント。当時、和田選手は走り幅跳びの選手として6m45㎝の記録を持っていましたが、心の奥には野球への思いがしっかりと残っていたのですね。その運命の出来事をきっかっけに陸上部を退部。その後、高校生ながら地元の社会人クラブチームでプレーします。高校球児の多くが夢見る「甲子園」を目指すのではなく、あえてクラブチームでプレーすることを決めたのには、どんな思いがあったのでしょうか。

在籍した高校は野球部員が少なくて、やるなら強いところで、レベルの高いところで野球がしたいと思ってクラブチームを選びました。ただ、その時点ではプロ野球選手を目指していたわけではなく……。野球を久しぶりにやって、まったくと言っていいほどに体が動かなかった現実もありましたし、その時は、純粋に野球を楽しんでやっていた感じでした。

——高校卒業後は、地元を離れてBCリーグの富山GRNサンダーバーズでプレーしました。

大学に進学して、そのままクラブチームでプレーしようとも思っていましたが、1つ年上の先輩が同じクラブチームから独立リーグに進んでいたこともあって、最終的には富山GRNサンダーバーズでのプレーを選びました。でも、その時点でもまだプロ野球は意識していませんでした。独立リーグのトライアウトを受けた時も、大学進学の準備をしつつ、ちょっとした腕試しみたいな感じでしたし。実際に独立リーグでプレーしてシーズン終盤になってやっと、プロ野球というものを強く意識するようになりました。

“足”でファンを魅了する選手に

——2017年のドラフト会議で育成1位指名を受けてプロの世界へ飛び込むわけですが、支配下選手になるまでの育成時代には苦労もあったと思います。

育成選手ですから試合に出られないこともありました。そんな時は家族に相談しながら、苦しい時期を乗り切りました。一軍でプレーする今でも、大きな支えになっているのは家族です。僕は6人きょうだいの4番目で野球をやったのは僕だけでしたが、兄たちは陸上やバスケットボール、妹は中学までソフトボールをやっていましたし、父親は野球、母親はバスケットボールの経験者。みんな何かしらのスポーツをやってきました。スポーツ一家です。

——小さいころから運動神経がよかった?

そういう環境で、小さい頃からドッジボールチームに入っていたこともあって投げることには自信がありました。走ることも、小学校ではいつも運動会のリレー選手に選ばれていたので自信がありました。

——野球の世界に戻るきっかけを作ってくれたお友達とは?

今でも交流があります。大学野球をやっているその友人には、今こうして一軍でプレーできているのは「俺のおかげだぞ!」と笑いながら言われますね。

——来シーズンに向けて目指すのは、どんなことでしょうか?

そんな友人や家族など、いつも応援して支えてくれる人たちは、僕にとっては本当に大きな存在です。その人たちのためにも、これからも一軍で活躍していきたい。課題であるバッティングを磨いて、一番の武器だと思っている「足」で多くのファンを魅了する選手になっていきたいと思います。

取材・文 佐々木 亨

和田康士朗(わだ・こうしろう)
和田康士朗(わだ・こうしろう)
1999年生まれ。埼玉県東松山市出身。小学校4年生から野球を始め、小中学校では軟式野球部に所属。けがが原因で高校入学時は陸上部に入部し、走り幅跳びを専門とする。その夏、高校野球の大会に出場する友人をテレビで見て、野球を再開する。所属は高校野球部ではなく、都幾川倶楽部硬式野球団に加入。トライアウトを受験して卒業後にはベースボール・チャレンジ・リーグ(BCL)の富山GRNサンダーバーズに入団する。左翼レギュラーでの活躍で2017年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから育成1位指名を受け入団。今シーズン6月に育成選手から支配下登録となり一軍選手となる。左投げ左打ち、背番号63。
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