ウェルシュケーキ〔イギリス〕シンプルで潔い“引き算”の伝統菓子
イギリスといえば、歴史を感じさせるパブ、優雅なアフタヌーンティー、時代を彩ってきたポップスなど……日本はもちろん、昔々から世界中の人々を魅了してきた国だ。しかし、こと「食」に関してだけはなぜか、マイナスなイメージがつきまとっている。かく言う私も正直なところ、イギリスのお菓子には長年あまり関心がなかった。ヨーロッパの中でも北に位置するイギリスでは、材料となる作物も豊富に育たないのではと考えていたからだ。ただ、実際に足を運んでみると、想像を超える出合いが私を待ち受けていた。
イギリスを約2週間かけて北上し、食べた郷土菓子は、実に40種以上。同じお菓子を違う店でも食べてみて舌で記憶していくので、食べた数で言うとその倍はあるだろう。本土ではクロテッドクリーム(乳脂肪分が高い濃厚なクリーム)のおいしさに感動し、そのクリームがのったスコーンを紅茶と一緒に食べるクリームティーにはすっかり心を奪われてしまった。スコットランドでも同様だ。その土地が育んだオーツ麦やラズベリー、ウイスキーなど、地のものを余すところなく使って作るクラナカンという郷土菓子は、帰国してからすぐに試作を始めたほどおいしかった。これはパブで出されるデザートで、それもまたイギリスらしくて心が躍る。そして、ウェールズの首都・カーディフを訪れた時、ウェールズを代表する郷土菓子、「ウェルシュケーキ」に出合った。
ウェルシュケーキは鉄板で両面を焼き上げて作る、小さなパンケーキ。材料は小麦粉・卵・砂糖・バターと牛乳だけ。仕上げに粉砂糖をまぶして完成させる。材料も見た目もとても素朴な焼き菓子だが、繁華街では専門店もあるくらい人気のようだった。私が旅先で初めてお目にかかれたのは、とある小さな青空市場に出店していたウェルシュケーキ屋だ。市場では、郷土菓子を発見できるだけでなく、作り手が直接売っていることも多いため、お菓子の話を聞ける絶好のチャンスが転がっていたりする。
小麦粉のおいしさ際立つシンプルさ
その市場では青年が、クレープ用の鉄板で一枚一枚ていねいに焼いていた。せっかくなので焼き立てをいただいてみると、まず驚いたのは小麦粉の味だ。本場で食べたスコーンもそうだったが、シンプルな焼き菓子ほどイギリスの小麦粉のおいしさをしみじみと実感できる。クランチな食感になるまでじっくり焼かれた表面はサックリ、中はしっとりと仕上がっており、ほかほかと優しく、小麦粉の甘い香りが口いっぱいに広がる。レーズンなどのドライフルーツを加えたものもあったが、それ以上飾ることもなく、その潔さにまた魅力を感じた。私もお菓子を作るとき、材料は必要最低限を意識しているが、ウェルシュケーキはまさに無駄を削ぎ落とした“引き算”の郷土菓子。どこにでもあるようでいて、でも、世界のどこを旅しても、こんなお菓子に出合ったことはなかった。
話をしていると、青年はおばあちゃんのレシピにヒントを得て作っているそうで、幸運にも、ご本人を紹介してもらえることになった。彼の案内でお宅を訪ねてみると、おばあちゃんが出迎えてくれた。ウェルシュケーキはおばあちゃんにとっても、小さいころから日常のおやつとして毎日のように食べてきた懐かしい郷土菓子だそうだ。朝に家で焼いたものを、学校に持って行くことも多かったと言う。実は、19世紀のレシピ本にも登場しているほど歴史ある一品で、昔はバターではなくスエット(牛脂)100%で作り、卵は使わず、甘さはもっと控えめだったのだと教えてくれた。その上、仕上げに振りかける粉砂糖も無かったそうだ。それもそのはず。おばあちゃんが幼いころ、イギリスは第二次大戦の只中。バターや砂糖は貴重品で、当然贅沢には使えなかった。そんな時代もウェルシュケーキは、ウェールズの人々の心を温め、励まし続けた郷土菓子だったのだ。
郷土菓子は各地で愛され続け、時代と共に変化していく。それぞれの土地や生活に根付いたそれぞれの郷土菓子が、そこに行けば必ずあるのだ。そのルーツをひも解いてみれば、おいしさ以上の出合いがある。だからこそこれからも、旅はやめられないのだ。
2021-03-16