エッセイ アーカイブ鈴鹿からの便り怪談家 稲川淳二
「稲川さんの怪談を生で聞きたい」と、たびたび便りをくれる青年がいました。差出人の住所は三重県鈴鹿市。ライブ会場が遠くて来られないのかな? いや、違う。ぐね~っと曲がりくねった字を見て、もしやと思いました。彼は、動けないんじゃないか。
信頼する2人のスタッフに頼んで訪ねてもらうと、そこは、末期の筋ジストロフィー患者の入院施設でした。怪談をやらせてもらえないかと切り出すと、院長先生は大喜びで快諾してくれました。ただ、心臓に機械をつけている患者さんがいるので45分間くらいが限界でしょうと言うのです。
それを聞いた2人は慌てました。私は『電話が鳴る』という、とっておきの怖い話をするつもりだったのです。最後に突然、「ジリリリリリン!」と電話が鳴り、客席に赤いライトがパッとつく。これには大の大人も飛び上がります。「手紙をくれた彼も好きな話とお聞きし、稲川がぜひ披露したいと言うのですが、そんな心臓に悪い話をして大丈夫でしょうか?」と聞くと、「おおいにやってください」と院長先生。話は決まり、当日は照明や音響のスタッフも駆けつけてくれました。
その病院は古い校舎のような建物で、開け放した窓からセミの大合唱が聞こえてきます。手紙をくれた彼は髪を今風に染め、しゃれた格好をしていたけれど、手首が曲がっている。この手で手紙を書いてくれていたのか。「よーし!」と力が湧きました。
暗幕を閉め、いよいよ怪談の始まりです。問題のシーンが近づいてくると、こっちも怖い。大丈夫かな~、怖いな~。ドキドキしながら最後のセリフを言ったとたん、電話のベルが鳴り響き、みんなが一斉に「キャー!」。
照明が落ち、拍手がやむと、すん、すん、と鼻をすする音があちこちから聞こえてきました。何だろう。まさか…? 明るくなると、「子どものこんなにうれしそうな笑顔を初めて見ました」とお母さん方が泣いていたのです。
怪談がくれたやさしさ
最後に「サプライズです」と院長先生が言い、車椅子に乗った若者が大きな箱を抱えてやってきました。それは見事な鷹(たか)の切り絵でした。不自由な手で、寝る間を惜しんで懸命に切り続けた作品です。受け取れない、と思いました。たった1回、ボランティアで怪談を聞かせてやろうと、どこかおごった気持ちでいた自分がもらってはいけない。「すごくうれしい。心だけ受け取るから、これはあなたが取っておいて」と言うと、院長先生が「稲川さん、それは違う」と首を振りました。
「あなたに会えると思ったからこそ、彼は頑張れたんですよ」
受け取った瞬間、手が震えました。つらいはずなのに、不思議とみんな笑顔で温かい。あんまりやさしい心に出合って、無防備に泣いてしまいました。怪談でみんなを喜ばせよう、感動させようとしていた私が、一番のご褒美をもらったのかもしれません。
それからしばらくして、私を鈴鹿に呼んでくれた彼から「静岡に帰ります」という手紙が届きました。手書きではなく、まっすぐに印字されたその手紙が、最後の便りでした。
季刊広報誌「Shall we Lotte」第42号(2018年冬)より転載
「失敗は成功の素」をテーマに、ご自身の経験から、明るい失敗やほろ苦い失敗をどう成功へ導いたかを、読む人がちょっと元気をもらえるようなエッセイにしていただきました。
2019-10-08
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