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世界で最初といわれるお菓子の切手
1949年4月13日にオーストリアが発行した寄付金つき切手「幸せな子ども時代」の切手のうち、“誕生日”と題された1枚。ロウソクが1本立てられたケーキを前に座る子どもの様子が描かれている

“お菓子”の定義にもよりますが、一般に、世界で最初に“お菓子”を取り上げた切手は、1949年4月13日にオーストリアが発行した児童福祉切手のうち、誕生日ケーキの前に座る子どもを描いた1シリング+25グロッシェンの切手だとされています。

福祉などの目的で、額面になにがしかの金額を上乗せして発行する寄付金つき切手がオーストリアで最初に発行されたのは、第一次世界大戦の開戦後まもない1914年10月4日のことでした。このときの切手は、額面5ヘラーと10ヘラーの切手に2ヘラーの寄付金を上乗せして、それぞれ7ヘラーと12ヘラーで販売され、集められたお金は戦争犠牲者の救済資金に充てられました。

その後、さまざまな名目の寄付金つき切手が発行されましたが、児童福祉目的の寄付金つき切手は1924年に発行されたのが最初です。

ちなみに、オーストリア=ハンガリー帝国時代のオーストリアでは、1クローネ=100ヘラーという通貨が使われていましたが、第一次大戦でオーストリアが敗れて帝国が崩壊した後、社会的な混乱の中で猛烈なインフレに見舞われたため、1924年12月、1万クローネを1シリング(=100グロッシェン)とする新通貨が導入されました。

このとき導入されたオーストリア・シリングは、オーストリアがナチス・ドイツの支配下にあった1938-45年には廃止され(この時代にはドイツのライヒス・マルクが使われていました)、戦後の1945年に復活しますが、やはり、戦後の混乱のインフレに対応して1947年11月から“新シリング”が、2002年のユーロ導入まで使われました。今回ご紹介する切手は、この新シリングでの額面表示になっています。

さて、1949年にオーストリアが発行した児童福祉切手は“幸せな子ども時代”と題して、イースター、サンタクロース、誕生日、クリスマスを題材にした4種の切手で構成されており、数多くのオーストリア切手を手掛けたハンス・ランゾーニが原画を制作しました。

“幸せな子ども時代”の一コマ

“誕生日”の切手では、切り分けられたホールケーキの中央に大きなロウソクが1本立てられています。調べてみると、オーストリアでも、ケーキを切り分ける前にロウソクを立て、火をつけて吹き消してから切り分ける人が多数派のようで、この切手のようなスタイルは少数派のようです。もっとも、子どもの1歳のお誕生日だったとすると、危険なのでロウソクにも火をつけず、大人たちが食べやすいようにケーキを切り分けた後に目の前に置いて見せてあげたということなのかもしれません。

オーストリアといえば、以前の本連載でもご紹介したチョコレートケーキのザッハトルテが有名ですが、ザッハトルテは、チョコレート味のバターケーキをチョコレートでコーティングしたもので、中身のケーキは2~3層、多くても5~6層です。これに対して、切手に描かれたケーキは、外側の硬めな質感こそチョコレートっぽい雰囲気ですが、内側の断面は薄い層の積み重ねになっているうえ、外側に比べると淡い色合いになっていますから、ミルフィーユないしはナポレオンケーキをチョコレートなどでコーティングしたようなものではないかと思います。

この後、ケーキは一つずつお皿に取り分けられ、切手の子どももスタイ(よだれかけ)をつけてから、手にしたスプーンでケーキをパクリ、ということになるのでしょう。おすまし顔の子どもも良いですが、口の周りだけでなく、手も服もチョコレートまみれにしながらにっこりしている表情こそ、“幸せな子ども時代”の一場面として、より鮮明にみんなの記憶に残るのではないでしょうか。

さて、電子化される以前の紙の雑誌『Shall we Lotte』2009年秋号からお付き合いいただきました本連載(当初のタイトルは「小さな世界のお菓子たち」)ですが、今回をもちまして最終回となりました。長年のご愛読、ありがとうございました。

内藤陽介(ないとう・ようすけ)
郵便学者。切手をはじめ郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し、研究・著作活動を続ける。著書に『日の本切手 美女かるた』(日本郵趣出版)、『みんな大好き陰謀論』(ビジネス社)、『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』(扶桑社)など多数。
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