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2018年にオーストリアが発行した「ウィーンの伝統料理」の切手には、ホテル・ザッハーの“オリジナル・ザッハトルテ”とウィンナーコーヒーが取り上げられている

ウィーンを代表する古典的なチョコレートケーキのザッハトルテは、小麦粉、バター、砂糖、卵、チョコレートなどで作った生地を焼いてチョコレート味のバターケーキを作り、アンズのジャムを塗った後に、表面全体を煮たてた粉砂糖にチョコレートを溶かしたものでコーティングするもので、ウィーンのホテル・ザッハーと洋菓子店デメルでは、砂糖を入れずに泡立てた生クリームを添えて出されます。

1832年にザッハトルテが生み出される以前から、ヨーロッパの貴族たちはチョコレートケーキを食べていましたが、ザッハトルテはそれまでのケーキとはレベルの異なるおいしさで、現在でも“チョコレートケーキの王様”と呼ばれています。

ザッハトルテの生みの親、フランツ・ザッハーは、1816年12月19日、ナポレオン戦争の余韻くすぶるウィーンに生まれました。15歳の時、「会議は踊る」で有名なウィーン会議を主宰したオーストリアの外相、クレメンス・フォン・メッテルニヒの料理人に弟子入りして修業を積んでいました。

フランツが修業を始めて2年目、1832年のある日、メッテルニヒは親方に「今晩、この屋敷に集まる貴族たちのために特別なお菓子を作るように。くれぐれも私に恥をかかせるなよ」と命じます。ところが、親方はあいにく病気になってしまい、16歳の見習い小僧だったフランツが、急きょ、ケーキ作りを任されます。こうして生まれたのが、ザッハトルテでした。

ただし、この時点では、フランツはあくまでも若き見習い料理人で、彼の考案したケーキには特に名前も付けられておらず、メッテルニヒ邸の特製デザートという扱いでした。

その後、メッテルニヒ邸での修業を終えたフランツは、プレスブルク(現在のスロヴァキア共和国の首都ブラチスラヴァ。当時はオーストリア領でした)に移り、この地のレストランのシェフに就任。さらに、ブダペストのレストランや、ウィーン・ブダペスト間を運航していたドナウ川の蒸気船のシェフを歴任した後、1848年、ウィーンに戻って、ヴァイブルクガッセに自前の店を構え、“フランツ・ザッハーのチョコレート菓子(Schokoladetorte des Franz Sacher)”の名でザッハトルテを販売し、たちまち、ウィーンを代表する洋菓子店となりました。

その後、1876年、フランツの後を継いだ次男、エドゥアルトは、かつて音楽家のアントニオ・ヴィヴァルディが住んでいた場所で、現在はウィーン国立歌劇場の隣に、部屋数152室の“家具付きの貸家”としてホテル・ザッハーを開業。父フランツのザッハトルテはホテルの名物となりました。

エドゥアルトの死後、支配人となった妻のアンナは、ホテル・ザッハーを貴族や外交官が宿泊する最高の格式のホテルへと成長させましたが、第一次大戦に敗れたオーストリアは凋落(ちょうらく)し、1929年に発生した世界恐慌の余波もあって、ホテルも経営難に陥り、1934年には倒産してしまいます。

ここで救いの手を差し伸べたのが、ハプスブルク家の王室御用達の菓子店だったデメルでした。

販売開始から170周年に発行された切手

デメルから資金援助を受ける代わりに、エドゥアルトの息子(フランツの孫)エドマンドは、門外不出とされてきたザッハトルテのレシピと販売権を譲渡してデメルに移籍します。

ところが、1938年には新たにホテル・ザッハーを買収したオーナーが、デメルとは別に“オリジナル・ザッハトルテ”の販売を開始。さらに、秘伝のレシピが流出し、ハンス・スクラッチの『ウィーンの菓子店』という本に「オリジナル・ザッハトルテ」のレシピが掲載されてしまいます。

このため、ザッハトルテの権利をめぐって、ホテルとデメルの間で法律上の論争が生じましたが、1939年9月に第二次大戦が勃発したことで、両者の対立もしばらく休戦となりました。

論争が再燃したのは、第二次大戦後の1954年のことで、同年、ホテル・ザッハーのオーナーが商標権を主張してデメルを提訴します。訴状の内容は、単に“ザッハトルテ”の名称使用権だけでなく、レシピの内容(バターとマーガリンのどちらを使用するのか、アンズのジャムはチョコレートコーティングの下のみか、生地の中身にも使用するのか、など)も含めて細部にわたっており、法廷では料理研究家や歴史学者、古文書学者も証言するなど、裁判は異例の雰囲気の中で進められました。

最終的に、1963年に示談が成立。ホテルとデメルの双方に“ザッハトルテ”の販売権を認めるとしたうえで、ホテルはチョコレートコーティングの下と生地の中間にアンズジャムを塗った“オリジナル・ザッハトルテ”を、デメルはチョコレートコーティングの下にのみアンズジャムを塗った“エドゥアルトのザッハトルテ(デメルのザッハトルテ)”を、それぞれ販売するということで決着しました。

フランツがヴァイブルクガッセ・ザッハトルテの販売を開始してから170周年に当たる2018年、オーストリアが発行した切手には、ホテル・ザッハーのファサードを背景に、生クリームを添えてホテルの皿に盛られた“オリジナル・ザッハトルテ”と生クリームがたっぷり乗せられたウィンナーコーヒーが取り上げられています。

個人的には、濃厚なザッハトルテには、コーヒーはクリームたっぷりのウィンナーコーヒーよりも、ブラックコーヒーもしくはストレートの紅茶を合わせたい気分なのですが、最低気温が氷点下になる冬のウィーンでは、これくらいこってりしていた方がおいしく感じられるのかもしれません。

内藤陽介(ないとう・ようすけ)
郵便学者。切手をはじめ郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し、研究・著作活動を続ける。著書に『日の本切手 美女かるた』(日本郵趣出版)、『みんな大好き陰謀論』(ビジネス社)、『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』(扶桑社)など多数。
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