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2017年にスロベニアが発行したアルゼンチンとの修好25周年の記念切手。
スロベニアの象徴として伝統菓子のポティツァが、アルゼンチンの象徴としてマテ茶が取り上げられている。

旧ユーゴスラビア連邦が解体されていく過程で、1991年に独立したスロベニア共和国は、北はアルプス山脈、南西部がごくわずかですがアドリア海に面した風光明媚(めいび)な中欧の国で、首都リュブリャナからハンガリーにかけてはハンガリー大平原の西の端の穀倉地帯としても知られています。

面積は四国とほぼ同じ2万273平方キロ、人口は約200万という小さな国ですが、その地理的な環境から、ヨーロッパのさまざまな民族・文化の交差路として、ローマ帝国から神聖ローマ帝国を経てハプスブルク帝国の支配下にあったという歴史もあります。実際、リュブリャナの町並みは、ルネッサンス、バロック、アールヌーボーなど、さまざまな時代の建築物が混在しており、さながら、ヨーロッパの建築博物館のようです。

そんなスロベニアを代表する伝統菓子が、2017年の切手に取り上げられた“ポティツァ”です。

ポティツァは、もともと“最高の”を意味するラテン語の“Potissimus”に由来する言葉で、古くは、イエス・キリストの冠をかたどった素焼きの型の名前でした。

ドナウ川流域では、クルミとハチミツのフィリングを生地で巻き込んで、この型に巻き付けて焼く“povitica” あるいは“potica”という名前のお菓子が、ハプスブルク帝国時代の17世紀には作られていたとの記録が残されており、これが、現在のポティツァのルーツといわれています。

ちなみに、スロベニアは約8千人が養蜂に携わっており、その品質もヨーロッパ随一といわれる養蜂大国です。その基礎を築いたアントン・ヤンシャは、アルプス南麓、ブレズニカ村出身の美術家でしたが、蜂についての造詣も深かったため、1770年、ハプスブルク帝国の女帝マリア・テレジアがウィーンの養蜂学校を設立した際、初代養蜂指導者として任命され、近代養蜂を確立しました。ポティツァは、そうしたスロベニアの豊かなハチミツが育んできたお菓子だったのです。

80種類ものバリエーションがあるフィリング

ポティツァは、直径32センチ、高さ10センチのものが標準的な大きさで、生地に巻き込むフィリングは、クルミとハチミツの古典的な組み合わせのほか、ヘーゼルナッツやレーズン、ケシの実やサルタナ(地中海沿岸の種無しブドウ)を使ったもの、タラゴンやチャイブなどのハーブを使ったもの、カッテージチーズ入りのものなど、現在では80種類ものバリエーションがあります。

また、カトリックでは、復活祭(イースター)の46日(日曜日を除く40日)前から復活祭前日まで、イエス・キリストの受難を思って肉や卵などを口にしないようにすることから、その直前に肉に別れを告げる祭りが行われます。これが“謝肉祭”で、いわゆるカーニバルというカタカナの言葉は“carne vale(肉よさらば)”という表現に由来するものですが、スロベニアのカーニバルでは、ローストポークの皮を使ったベーコンのポティツァを食べるのが定番です。

ところで、この切手は1992年のアルゼンチンとの修好25周年を記念して2017年に発行されたものです。スロベニアの象徴としてのポティツァに対して、アルゼンチンの象徴としてマテ茶の茶葉と喫茶具(茶を飲むためのフィルターつきストローの“ボンビジャ”と、温かい茶の入った木製ポットの“グアンバ”)が描かれています。

甘いポティツァと香ばしいマテ茶の組み合わせは、日本ではなかなかお目にかかることはありませんが、機会があれば、ぜひ一度チャレンジしてみたいですね。

内藤陽介(ないとう・ようすけ)
郵便学者。切手をはじめ郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し、研究・著作活動を続ける。著書に『日の本切手 美女かるた』(日本郵趣出版)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)ほか。
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