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村雨辰剛さん

庭師を本業としながら、甘いマスクにバランスの取れた肉体美を武器に俳優やタレントとしても活躍している村雨辰剛さん。印半纏(しるしばんてん)を粋に着こなし、カメラの前で難なくポージングする姿は、モデルさながら。そんな村雨さんに、日本に惹(ひ)かれた理由や、日本の伝統文化についてインタビュー。時折見せるはにかんだ笑顔からは、日本への愛が伝わってきました。

日本の武士道に魅せられ19歳で移住

——村雨辰剛さんは2015年に日本に帰化されましたが、ご出身は遠く離れた北欧スウェーデンです。日本に興味を持たれたきっかけをお聞かせいただけますでしょうか。

幼少の頃から、海外の歴史に興味があり、将来は外国に住みたいとも思っていました。学ぶうちにとくに惹(ひ)かれたのが日本の歴史でした。生まれ育ったスウェーデンとは違う点が多く、「?」が増えるごとに好奇心をあおられたといいますか……。

——どんなところが違うと?

日本は鎖国をしていたという歴史もありますし、大陸に影響を受けながらも、独自に発展させた文化がたくさんあり、今も残っているところですね。
また、僕は戦国時代が好きなのですが、その時代の武将たちにある独特の価値観というか、武士道の美学に惹かれましたね。例えば、上杉謙信と武田信玄の戦いにあった「敵に塩を送る」というエピソードや、武田信玄が死んだときに上杉謙信が泣いたという逸話は印象的で。戦いの相手に友情を感じているのか?と、がぜん、興味が湧いてきました。

——初来日は高校生のときでした。思い描いていた日本と現実の日本とのギャップを感じることはなかったですか?

なかったですね。「郷に入れば郷に従え」という言葉がありますが、日本を訪れた以上、たとえ思っていたことと違っても、ありのままを受け入れようと思っていましたから。スウェーデン人は根っからの自由人が多く、私もそうなので、どんなことも受け入れられるんです(笑)。

——とはいえ、日本はスウェーデンとは異なることも多いと思います。日本に移住されてからは戸惑うこともあったのでは?

住むようになってからは、社会生活の手続き上で不便だなと思うことは出てきましたね。日本の場合、マニュアル通りでないと受け入れてくれないことが多いので。例えば、書類に必要とされる「ハンコ」。本当に必要? 形だけだよね? と思うことが度々ありました(笑)。
スウェーデンは何事にも柔軟性のある国です。例えば、僕が最初に日本への渡航を決めたのは高校卒業間近で、しかも休みの期間中ではなかったことから、先生に日本滞在中はリモートで勉強させてほしいと相談しました。そういうシステムはなかったのですが、特別に先生たちがレッスン時間を割いてくれた。ルールに縛られず、個人の熱意を優先してサポートしてくれるというのは、日本ではあまり聞いたことがありません。

——村雨さんの著書『僕は庭師になった』(クラーケン)でも触れていらっしゃいましたが、日本とスウェーデンでは教育のあり方にも大きな違いがあるとか。驚いたのは、多くの子どもが中学生で将来の目標が定まっていて、その上で進学先の高校を決めているそうですね。

はい。スウェーデンの場合、小さい頃から「将来は何になりたい?」と親に問われますし、その後は学校でも考える機会が与えられるので、中学卒業までには将来何になりたいかが見えている。高校は大学のように専攻が細かく分かれているため、やりたいことが決まっている子どもは専門的な専攻を選ぶことができます。一方、迷っている子やいろいろな選択肢を残したい子どもは幅広く勉強できる社会科に進みます。就きたい職業が決まっている子どもと漠然としている子ども。それぞれに対応できる教育の場があります。ちなみに僕は後者。社会科に進みました。

修業期間は旅をしている時間

——村雨さんの場合、高校卒業後は「日本で暮らす」ことを選び、移住されました。最初は愛知県の語学学校の教師として働き、その後、造園会社でのアルバイトを経て、庭師としての修業に入られたと伺いました。庭師を仕事にしようと思われたのはなぜでしょうか。

僕が興味を持ったのは日本という国。日本文化全般です。仕事をするなら、日本の伝統文化に関われるものや、徒弟制度が残っているような仕事がいいと思っていました。語学学校で働きながら、趣味で伝統文化を学んだりする方法もありましたが、当時は23歳。修業しても間に合うのではないかと。そんなとき、求人誌で造園会社のバイト募集を見て庭師という仕事があることを知りました。もちろん日本庭園には何度か訪れていましたし、魅力も感じていたので、庭園を造ったり管理したりする仕事なら面白いと思ってすぐに応募しました。

——知らない世界で働く怖さはなかったですか?

怖さはなかったですね。僕にとって修業期間は旅をしている時間。10年かかったとしても、自分の人生においては長旅に出るだけだと思っていたので、楽しみでしかありませんでした。ワクワクする気持ちがあれば、それが原動力となり、5年かかっても10年かかっても大丈夫だと。修業時代を振り返ったときには「あっという間だった」と思うはずだから、1日1日を大切に過ごそう、親方から多くを盗み、吸収しようと思って過ごしました。

——村雨さんにとって庭師の魅力とは何ですか?

日本庭園の造形美は自然に由来していて、季節感をとても大切にしています。庭師は、そうした和の美を熟知し、空間を作り、整備していくことを仕事としていますが、その間、直に和の美と触れ合うことができる。僕にとってはそれが大きな魅力です。
下積み時代の主な仕事は、草取りや掃除などの雑用ですが、訪れる庭は、都度、造り手が違います。僕にとっては美術館を巡っているような感じ(笑)。毎日、違う和の美を眺められる“ワクワク感”があります。盆栽みたいに仕立てた松の木の下で草取りしているだけでも楽しくて仕方がない。そうした環境に身を置けることが僕にとってはかけがえのない時間です。

——今でも修業時代と同じようにワクワクされますか? 飽きることはないですか?

はい。 “風化”や“経年美化”を大切に考えているのが和の美だと思うのですが、自分が年齢を重ねるほどそういうものへの理解が深まり、好きな気持ちが強くなっていきます。飽きるはずもありません。

——庭師=庭の管理や整備を行う仕事という印象が強いのですが、村雨さんが目指すのはデザインから担う作庭家なのでしょうか。

もちろん庭づくりはしたいことの一つですが、僕が最もやりたいのは、「日本庭園っていいよね」と多くの人に伝えること。日本の伝統文化への理解を深め、今の時代につなげていくことですね。
そう思うようになったのは、日本庭園を解体する仕事に携わることが多かった修業時代の経験が関係していると思います。民家から日本庭園がどんどん失われていく状況だったので、なぜ、いいものが壊されていくのかという疑問が深まり、SNSで自分の気持ちを発信するようになりました。アウトプットしていかないとやっていけないくらいストレスがたまっていた(笑)。もっと和のポテンシャルを多くの人に知って欲しいと強く願うようになっていきました。

——日本の伝統文化は日本庭園以外にもいろいろあります。和服や和骨董(こっとう)、落語といった日本文化にも詳しい村雨さんですが、「伝えていく」対象は変わる可能性はあるのでしょうか?

庭師になるまでには、6年という修業期間をかけていますから、仕事の軸はあくまでも庭師ですね。ただ、今もYouTubeで我が家の和の暮らしぶりを紹介していますが、これは趣味という形で伝えていければとは思います。

筋トレは“健康寿命”への投資

——ところで、多くの方が村雨さんを知るきっかけになったのはNHK『みんなで筋肉体操』だと思います。タレント活動はこの番組から?

いえ。愛知県での修業時代からローカルな事務所に所属していましたので、その頃から。ただ、当時は修業が優先。タレント活動に多くの時間は割けませんでした。
先ほどお話ししたように、日本庭園が減少していることへの疑問をSNSで伝えるうち、メディアに声をかけていただくことが増え、今に至ります。

——庭師と質の異なる仕事との両立は難しくないですか?

確かに庭師とタレント活動は違うのですが、つながりはあると思っていて、両立することでのプラスになることは多いですね。例えば、今日のインタビューでも、庭師や日本庭園について伝えることができますし、和の美を掘り下げて話す必要があるインタビューでは、それに向けて勉強をする必要も出てきます。結果、自分自身の理解も深まります。いいことずくめです。

——NHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』では俳優にもチャレンジされました。役柄を演じる経験はこれまでのタレント活動とは違ったのでは?

俳優という仕事は、役柄を作り込んでいく作業が必要です。想像力を働かせ、役柄の人となりを膨らませ、監督さんとも意見交換をしながら作り上げていきます。庭をつくる作業とはかけ離れてはいますが、どちらもクリエイティブなことだと思います。

——なるほど。それにしてもチャレンジ精神にあふれています。

好奇心が旺盛なんです(笑)。どんなことでもチャレンジすれば自分自身が成長でき、庭師という仕事に生かせると思っているので、「僕は庭師だからできません、しません」という決めつけはしたくない。職人らしくないかもしれないけど、「これしかやらない」という決めつけは時流に合わないと思うんです。
また、メディアに出るのは僕が最もやりたい「日本庭園の魅力を伝える」手段になっている。メディアに出ているからこそ、庭づくりのご依頼もいただけるわけですし、たまに「村雨さんのおかげで庭師を目指すことにしました」といったメッセージもいただける。そう考えると、一つひとつやっていることは違いますが、すべての仕事はつながっているような気がします。

——どんな仕事も庭師に生かせる、という思いで過ごされている村雨さんに、果たしてプライベートの時間はありますか? 公私の区別が難しいような(笑)

ぐちゃぐちゃです(笑)。そもそも修業時代と違い、決められた休日がありません。独立してから曜日感覚がまったくなくなりました。仕事がない時がプライベートの時間なのですが、「じゃ、YouTube撮ろうかな」と思っちゃうし。仕事なのか趣味なのか……(笑)。気づくとストレスがたまっています。好きなことをやっているのだけど、常に忙しくて動いているので、この状況は良くないなと思います。
なので、いよいよ「休まなければ!」と思うときは、極力、何もしないようにしています。映画観たり音楽聴いたり、飼い猫と戯れたり。一番落ち着く時間です。

——『みんなで筋肉体操』で披露された肉体美も話題ですが、身体は毎日鍛えているのですか?

はい、日課なので。

——健康のためですか? それとも趣味?

どちらかと言えば自分の人生を豊かにするための投資です。健康寿命への投資。鍛えるのは気持ちいいですし。実は修業時代、仕事帰りに酒の席に誘われることが多かったのですが、酒は好きでも、“晩酌”を日課にはしたくないと思っていました(笑)。「いいものを日課にする」ことを意識しています。

——ふだんから食事にも気をつけていらっしゃると思いますが、お菓子は召し上がりますか?

満腹になるまで食べることが多いので、甘いものを口に入れる余裕がないのですが、減量中やボディ-ビルの大会に出る前など自分を厳しく追い込むときには食事量が減る分、甘いものを食べますね。また、庭師として働いているときは、お客様がおやつの時間にお茶と一緒にお菓子を出してくださるのでいただきます。ロッテのお菓子も食べますよ。今日、テーブルに並べてくださったお菓子は、ほぼ食べたことがあります。

——こういったお菓子はスウェーデンにもありますか?

パイのなかにチョコが入った「パイの実」のようなお菓子は見たことがないですね。この小さなケーキ(「ふんわりプチケーキ」)は初体験ですが、いろいろな食感が楽しめて面白い! サイズが小さいので食べやすいです。

——最近、うれしかった出来事を教えていただけますか?

4月頃、自宅の濡れ縁を和風デッキにリフォームしたのですが、それがうまく出来たことですね。友だちとバーベキューをしたり、一人でくつろいだりできる格好の空間に仕上がりました。うれしくてYouTubeでも紹介していています(笑)。

——では最後に、好きな言葉をお聞かせください。

強い決意を表す言葉「不退転の決意」ですね。初めて聞いたのは20代前半だと思うのですが、心に響きました。日本に帰化した自分の選択とリンクします。日本への思いや熱意は幼い頃からブレることはなかったな、と。これからもブレることなく、真っすぐに生きていたいなと思いますね。
あとは「いただきます」も好きです。何かをいただくときの“感謝の気持ち”を表す端的な言葉ですが、これを日常的に使うのはとても素敵だと思います。

取材・文 辻 啓子
撮影 元木みゆき

村雨辰剛(むらさめ・たつまさ)
村雨辰剛(むらさめ・たつまさ)
1988年、スウェーデン生まれ。中学の世界史の授業で日本に興味を持ち、独学で日本語を習得。高校時代に初来日しホームステイ先で様々な日本文化に触れる。19歳で日本に移住。語学能力を生かし、語学(スウェーデン語や英語)の教師として働き始める。日本古来の文化と関わって仕事をするために23歳で造園業の見習い庭師に転身。26歳の帰化、日本国籍取得と同時に村雨辰剛に改名。現在は庭師としての仕事に軸足を置きつつ、俳優やタレントとしても活躍。『みんなで筋肉体操』(NHK)、また2021年にはNHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』への出演も話題となった。著書に『僕は庭師になった』(クラーケン)、6月1日には最新の著書『村雨辰剛と申します。』(新潮社)が発売になる。

・Twitter:村雨 辰剛 (@MurasameTatsu)
・YouTube:村雨辰剛の和暮らし
・Instaglam:tatsumasa.murasame
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