entry category about
CONTENTS CATEGORY ABOUT
辛酸なめ子

独自の視点、感性、世界観で世の中のあらゆることを分析し、コラムやイラストで発信を続ける辛酸なめ子さん。丁寧な語り口ながら核心をつくシニカルさに、読んでいてクスッと笑ったりスカッとしたり。そんな「辛酸なめ子」というコラムニストがどのように生まれたのか、幼少期から振り返っていただきました。

——幼いころはどんなお子さんでしたか?

小学校までは埼玉県で暮らしていました。埼玉に限りませんが、学校の中では運動ができる子の方が上、みたいなヒエラルキーがあり、運動が苦手だった私は、一人物静かに絵を描いたり本を読んだりする子どもでした。

当時は毎週図書館に通っては、10冊ほど本を借りてきて。絵本、歴史上の人物の伝記、「ナルニア国物語」のようなファンタジー……。目につく本を手当たり次第に読んでいました。両親とも教師でしつけに厳しかったので、テレビもほとんど見せてもらえず、学校では前の日に放送したドラマやバラエティー番組の話題には入れませんでした。

親の仕事の関係で2度の転校をしたことも、学校で友達の輪にあまり入れなかったことにつながっていたかも知れません。ただ、新しい学校では誰と仲良くすべきなのか、とか、ちょっと不良っぽい人との適度な距離の取り方、とか、その学校やクラスの人間関係を一歩引いて判断するみたいなことは無意識のうちにやっていたように思います。転校生の生きる術を習得してましたね(笑)。

——中学校、高校は女子校へ進学。『女子校育ち』や『女子校礼賛』など、女子校に関する著書もあります。女子校はどんな世界でしたか?

異性の目がないのは大きいと思います。自分を取り繕って演じる必要がなく、思ったことを率直に言う人が多かったですね。人間関係や先生について観察し、核心をつくような辛辣(しんらつ)なことをズバッと言ったり。頭の回転が早くてトーク力のある女子はたくさんいました。異性の目がないため自然体で過ごせるので、「楽園」みたいな癒やしの場所でもありました。

妄想力が鍛えられたのもこの時期かも知れません。あるとき男女共学出身の方から「共学にはアイドルオタクはいない。学校にいる男子で事足りるから」と聞き、大変驚きました。女子校では生身の男子がいないので、アイドルや二次元の男性を眺めてはあれこれ妄想し、美的感覚を養っていきます。必然的に女子校には妄想力にたけ、面食いが多かったように思います。

——その女子校時代にイラストや文章を書くようになったとか?

学内新聞に記事を書いたりしていました。ほかにもおもしろい文章を書く生徒がいたこともあり、自分たちで印刷して校内のラックに入れておくとあっという間になくなりました。「辛酸なめ子」というペンネームはこのころから使っています。周りから「顔色が悪い」「幸薄そう」などと言われることが多くて、自虐的になって自分で命名しました。このペンネームがこんなに長く続くとは思っていませんでしたが、本名以外の名前があると色々と隠れみのにできるのでとても便利です(笑)。

ほかにも、文化祭のポスターに作品を応募したり、遠足や修学旅行のしおりに絵を描いたり。私はいわゆる「団塊ジュニア」世代。子どもの数がとても多く、厳しい受験戦争を勝ち抜いて親が望むようないい大学には行けそうもないな、と思っていました。もともと何かを表現することが好きだったこともあり、中学のときには美術大学に進みたいと考えるようになっていました。ポスターやイラストは、親に美大受験を許してもらうためのプレゼン用の作品にするためでもありました。

——ご両親は厳しかった?

それもありますが、あの頃「いい大学に行っていい会社に就職しろ」みたいな圧力は、同世代の人はみんな感じていたと思います。さらに女性は、いい男性を見つけて結婚、出産するのが当たり前、そんな時代でした。親も20代になるまでは「男とは付き合うな」とか厳しく言うのに、適齢期を迎えた途端「いい人はいないのか?」「早く結婚しろ」とけしかける。日本独特なのか先進国特有のものなのかわかりませんが、1990年代はまだまだそういう空気が強かった。戸惑いや理不尽さを感じていた女性は、私を含め多かったと思います。

美大では恐ろしい流行には近づかなかった

——高校卒業後は武蔵野美術大学短期大学部に進学されます。女子校とは雰囲気がガラリと変わったのでは?

そうですね。キャンパスにはモラトリアムな雰囲気が漂っていて、親からの仕送りで30歳ぐらいまで絵を描いているような人など、裕福な学生が多かったように思います。女子校出身者もいましたが、入学直後はきれいなファッションをしていたのに、しばらくすると絵の具がこびりついた古着を着るようになっていたり。それがカッコいい、みたいな風潮はあったと思います。同じように美大出身者の「お嬢さま学校から来た育ちのいい女子が、美大で出会った男に感化され変わっていくのを何人も見た」という話には、妙に納得したことがあります。

私は親から「オオカミの群れの中に放たれる羊みたいなものだから気をつけなさい」と厳しく注意されていたので、そういう恐ろしい流行には近寄らないようにしていましたが、当時HIROMIXさんや長島有里枝さんが登場し、世の中は女性写真家ブームに。その影響なのかなんなのか、大学の授業で好きな男子に自分のヌードを撮ってもらうというナゾの流行が学内でありました。親の注意喚起を受け警戒しておいてよかったです(笑)。

一方で、学外ではフリーペーパーを作っている人と知り合い、現代アーティストやグラフィックデザイナーの方に取材して原稿を書くバイトを始めました。簡単なアニメーションやゲームを作り、フロッピーディスクに入れて販売したり。そうこうしているうちに、1990年半ばにはインターネットが普及し始め、作家や翻訳家などが集まって作ったホームページで日記みたいなものを書き始めました。それが今の仕事につながっていったのです。

——アート、ファッション、トレンドから、ハリウッドセレブのゴシップにスピリチュアルな話題まで、さまざまなジャンルを独特の視点で切り取り、分析し、文章やイラストでつづっています。「ネタ」はどのように探しているのでしょうか?

テレビで取り上げられているニュースやネットで見かけた話題、いわゆる「まとめサイト」をよく見ている友人からの情報など、アンテナは広く張っています。それをただ紹介するだけではつまらないので、海外サイトなども見たりして可能な限り周辺情報を集め、その上で自分なりの見解をまとめるようにしています。最近はAIに絡んだネタも多く、勉強しなくてはいけないことも増えていますね。

三毛猫のほほ笑みに癒される

——忙しい日々、ホッとする瞬間は?

おしゃれなカフェが好きなので、いい感じのお店を見つけたときはテンションが上がります。先日入ったのは、間接照明だけで店内は薄暗くてオーガニックコットンの生地で作られたみたいな高そうな服を身につけた男性がゆっくりとコーヒーを入れてくれるカフェ。居心地がいいのに適度な緊張感があってとても気に入りました。周りを見るとこの暗がりで文庫本を読んでいるお客さんが多く、字は見えるのか?と驚きました。

食事や、甘いものが好きなのでスイーツがおいしいカフェだとさらにうれしいですね。

——甘いものといえば、ロッテのお菓子について何か印象や思い出はありますか?

チョコレートやチョコレートを使ったお菓子がおいしいですよね。「コアラのマーチ」は絵柄を楽しみながら食べています。仕事をしながら食べるのにもちょうどいいサイズ感。ついつい食べすぎちゃいますが……。こんなに小さいのに、コアラを描く線が細くてきれいなことにいつも感心します。

コアラといえば、オーストラリアに行ったときに森林火災でコアラが深刻な被害を受けたと聞き、何かできないかなと考えていました。ロッテのオーストラリア・コアラ基金への応援も知っていますよ。

——最近、うれしかった出来事は?

千駄ケ谷を歩いていたとき、きれいな三毛猫を見かけたので、つい後を追いました。すると、こちらにゆっくりと振り返りほほ笑んでくれたのです。とても神々しい笑顔で、何かいいことありそうでうれしくなりました。

辛酸さんにほほ笑んだ三毛猫

——好きな言葉はありますか?

「狭き門より入れ(※)」。新約聖書マタイの福音にあった言葉で、中学か高校の礼拝のときに聞いたのだと思います。これが私の中にずっと残っていて。本来は、神の救いを得るためにはそれ相応の努力をしなければならない、というような意味のようですが、いわゆる「王道」な生き方を選ばず、マイナーというかニッチな方面に進んだのは、多少この言葉の影響があるかも、と思うことはあります。

(※)「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」(マタイによる福音書7章13-14節)「聖書新共同訳」より

——これからやってみたいことなどはありますか?

仕事で絵や文章をアウトプットし続けていると、左脳ばかり使っていて右脳が退化している気がしていて。テーマやお題がないと書けなくなっているようにも感じます。右脳を活性化するにはどうすればいいのかな? 左手で書けば刺激されるのか? なんて思ったりもしますが(笑)、子どものころのように、自分が書きたい、描きたいという衝動や感性のままに書く感覚を取り戻したいですね。

取材・文 中津海麻子
撮影 元木みゆき

辛酸なめ子(しんさん・なめこ)
辛酸なめ子(しんさん・なめこ)
1974年東京都生まれ、埼玉県育ち。武蔵野美術大学短期大学部卒業。在学中からライターやイラストレーターとして活動を始める。94年のGOMES(渋谷パルコのフリーペーパー)漫画グランプリでのGOMES賞の受賞をきっかけに雑誌での連載などが始まる。95年にはWEBサイト「女・一人日記」を開設するなど早くからインターネット媒体を活用したマルチメディア作品の制作にも取り組む。作品のテーマとなる内容は多岐にわたり、その情報をもとに独自の発信をすることで根強い人気がある。最近も雑誌やWEBサイトで数多くの連載を抱えている。本名の池松江美で作品も発表している。著書は多数。近著に『辛酸なめ子、スピ旅に出る』(産業編集センター)、『辛酸なめ子の独断! 流行大全』 (中公新書ラクレ)、『新・人間関係のルール』 (光文社新書)がある。

辛酸なめ子Twitter「godblessnameko」
Shall we Share

ほかの連載もみる