「早食いよりも、ゆっくりよく噛んで食べるほうが、体によい」と、耳にしたことがある人は多いでしょう。これまで科学的には「ゆっくり噛んで食べると消化もゆっくりとなり、血糖や脂質の上昇がなだらかになる」ということが実証されてきました。
そこでこのたび、「噛むことが直接、血糖値の上昇を抑制するのか」という観点から、臨床研究が行われました。今回は、その臨床研究に携わった、大阪大学大学院糖尿病病態医療学寄付講座講師・高原充佳先生にお話を伺いました。
この研究では、30〜40代の健康な男性16名に、朝食として200グラムのご飯(茶碗で大盛り1杯分)を食べる前に、味のないガムを15分間噛んでもらいました。食前に味のないガムを噛んでもらったのは、食べ物の影響や味による刺激を排除して、純粋に「噛むことだけによる血中成分の変化」を調べるためです。
そして、ごはんを食べた後の血中成分の変化量を調べました(食後0分後、15分後、30分後、1時間後、2時間後)。
同じ方々で、食前にガムを噛まないで、ご飯を食べた後の血中成分の変化量も調べました。
結果は、食前にガムを噛んだ方が、ご飯を食べた直後の血糖値の上がりが小さくなっていました。また、食後15分には、血中インスリン濃度の上昇幅が大きくなっていました。
インスリンは、すい臓から分泌され、血糖値を下げる働きをするホルモンです。さらに「GLP-1」というホルモンも、血中濃度の上昇が、食後30分、食後60分では大きくなっていることが確認されました。
また、腸の動きを制御して消化吸収のスピードを遅らせる働きも知られており、血糖値が上がりにくくなると考えられます
このようにGLP-1は、血糖値を下げる手助けをすることから、糖尿病の診療では「善玉」のホルモンとして注目されています。実際、GLP-1の血中濃度を高める働きをするお薬が糖尿病の治療に使われています。
今回の臨床研究で見られた血中GLP-1濃度の上昇は、こうしたお薬の効果に比べると大変小さなものですし、また、糖尿病のない方を対象とした研究結果ですので、噛むことが糖尿病患者さんの薬に取って代わるということでは決してありません。しかし、今回の研究結果は、噛むことが、私たちが想像している以上に、食後の糖代謝にかかわっている可能性を示しており、大変興味深いと考えます。
ちなみに、この臨床研究では、血糖値を上げて低血糖を防ぐホルモンであるグルカゴンや、食欲を促進するホルモンであるグレリンの血中濃度も測定していますが、これらは明らかな変化を認めませんでした。
以上のことから、噛むという行為そのものが、食後の血糖値の上昇の抑制や、インスリンやGLP-1の分泌の促進につながる可能性が見えてきました。
なぜそうなるのかは、まだ解明されていないのですが、神経を介したネットワークがかかわっているのかもしれません。私たちが何かを食べはじめたタイミング、つまり噛みはじめたタイミングで、胃や腸に「これからごはんが入ってくるぞ」という情報を事前に伝えて、消化吸収の準備をさせておくことは理にかなっているように思えます。
噛むことは脳の神経に対して非常に大きな刺激になることが知られていますし、消化管には神経が張りめぐらされていますので、噛むことが神経を刺激して消化管の働きに影響を与える可能性は十分に考えられます。
つまり、しっかり噛むことで神経が刺激された結果、ホルモンの分泌が促され、また、血糖値の上昇も抑えられたのではないか、と推察しています。
「一口に30回、噛みましょう」とよくいわれますが、わかっていてもなかなかできない人は多いと思います。ついついあまり噛まずに飲み込むことが多かったり、忙しくてゆっくり食べていられなかったりする人もいることでしょう。食事中に噛む回数を意識することが難しい方に一度試してもらいたいのが、「咀嚼しきれていないうちに、次の食べ物を口に入れないこと」です。
一口食べたら、「ああ、おいしいなあ」と味わいながら、口の中からなくなるまで噛む。そして、口の中の食べものがなくなって初めて、次の食べものに箸を伸ばすのです。このような食べ方は、食事を楽しむことにつながりますし、ゆっくりよく噛んで食べることにも直結します。生活習慣病を防いで健康を維持するという観点でも、噛むことは、社会的に注目されています。私たちは、これからも噛むことに着目して、研究を続けていきたいと思います。
高原 充佳(たかはら・みつよし)先生
大阪大学大学院医学系研究科
糖尿病病態医療学寄附講座 講師
(2023年7月現在)
2004年、大阪大学医学部卒業。2015年から大阪大学大学院医学系研究科・糖尿病病態医療学寄附講座助教。2020年から同寄附講座講師。