「噛むこと健康研究会」発足会 ~パネルディスカッション~

2018年8月24日、「噛むこと健康」の研究実施と、その効果を世の中に広めていくことを目的として、「噛むこと健康研究会」が設立されました。設立に際し、都内で開催された発足会でのパネルディスカッションの様子をご紹介します。

<テーマ>

「咀嚼と健康に関する研究の方向性」と「咀嚼回数が人の健康維持の指標になり得るか」

<パネリスト>

大阪大学大学院医学系研究科内分泌代謝内科学教授 下村伊一郎先生
大分医科大学名誉教授 坂田利家先生
日本大学松戸歯学部歯科矯正学講座教授 葛西一貴先生
和洋女子大学家政学部健康栄養学科教授 柳澤幸江先生
早稲田大学スポーツ科学学術院准教授 宮下政司先生
株式会社ロッテ中央研究所チューイング研究部部長 池田なつき氏
東京医科歯科大学大学院歯学総合研究科教授 水口俊介先生


■大阪大学大学院医学系研究科内分泌代謝内科学教授 下村伊一郎先生

私の専門は糖尿病、生活習慣病です。この領域で噛むことの効用は、早食いよりはゆっくり食べるほうが糖尿病になりにくいとされています。その意義は、ゆっくり食べることで小腸に入っていく量が少ない、あるいは緩やかに入っていくので、血糖や脂質の上昇がなだらかになり、インスリンという非常に大事なホルモンが無駄づかいされずに節約されながら使われていくことです。その結果、糖尿病や高脂血症など、インスリン欠乏ないしは効きが悪くなることに起因する病気になりにくいと考えられています。
咀嚼に関連した研究テーマを挙げますと、一定量の炭水化物を食べた後、時間経過毎で血糖値、インスリン、グルカゴンや数種のホルモン因子、加えて、食に対する満足度、嗜好度等を測定することです。良く噛んだ場合と噛まない場合で、血糖値や各種ホルモンの動き方に違いが出るのか、食の渇望感に変化が起こるかどうかの臨床スタディに取り組んでいます。
噛むことは脳へ刺激を与えますので、下垂体からACTHという、身体にポジティブな影響を与えるホルモンが出るのではないか。また、フレイルに対して筋肉が発達する可能性があるのではないか。つまり、噛むという作業が筋肉への栄養補充にも良いのではという観点も研究に取り入れようと考えています。


■大分医科大学名誉教授 坂田利家先生

「噛む」という行為は、人類が太古の時代から獲得して、これまで生き抜くことができた非常に大事な機能の一つだったんです。しかし現代では、日本だけに限らず全世界中で、「噛むこと」が非常に悪くなってきています。文明の発達と噛む機能の低下は反比例することを痛感しています。
長年の研究で、咀嚼によって起こるいろいろな体の機能、中でも中枢系を介した機能はかなり詳しくわかってきました。また治療としての「噛むこと」の効果に関しても間違いなく、有効であるという確信を持っています。
咀嚼は、本来幼少期に習得すべき行為です。時期を逃してしまうと、非常に習慣化しにくいという大きな欠点があります。「噛むこと」の有効性については、わかっていても、現実にはなかなか治療に持ち込めないといいますか、治療として定着させきれていません。『噛むこと健康研究会』の発足に期待したいのは、噛むことの効用を広く伝えることです。たとえば「噛め噛め運動」とか、大きな力が動き出すと事態が変わる可能性が高まりますし、期待をしています。


■日本大学松戸歯学部歯科矯正学講座教授 葛西一貴先生

私の専門は歯科矯正学でして、不正咬合と口腔機能・咀嚼機能の関係について興味をもち研究を続けてきました。
小学校1年生のときは同じような歯並びをしていても、6年生になったときにきれいな歯並びになっている人と、ひどい歯並びになっている叢生(そうせい)と言われる乱杭歯の人と、2種類の子どもが出てきます。何が違うのかを調べていくと、噛み方、咀嚼運動のパターンが違うことがわかりました。
具体的には、どんな食物が口の中に入っても縦噛みしかできない子どもは6年生になっても歯並びが悪い。ところが、お肉や根菜など噛み応えのあるものを食べたときに、顎を磨り潰すような横の動きがちゃんとできる子どもたちは、歯並びのいいグループに入っていくことがわかりました。
私たちはこの状況をなんとか改善するには、咀嚼の運動を変えればいいと考えました。自然のうちにこう噛めば噛めるということを、あるいはこういう食物が入ったときにはこう噛むということがわかっている子供もいればわからない子供もいます。我々は噛み方がわからない子どもを対象に、咀嚼指導を行っています。小学校の時期に正しい咀嚼を学習するだけで歯並びの悪化を予防ができる。それが、今私たちが取り組んでいる課題です。


■和洋女子大学家政学部健康栄養学科教授 柳澤幸江先生

噛むことと食べ物は切っても切れない関係です。私は咀嚼を引き起こす食品の物性について長年研究してきました。硬さだけではなく、磨り潰すという動きを起こさせる凝集性や弾力性もあって噛みごたえが生まれます。私の研究では、咀嚼筋活動量と食品物性で噛みごたえを10ランクに分類しています。噛みごたえのあるものを多く食べている人ではエネルギー摂取量が低い上、食物繊維を多く摂取し、脂肪の摂取量は低いということや、野菜や果物で繊維が多く噛みごたえのある食品を日常食べている人では栄養状況が良いことも分かっています。
健康長寿に向けて低栄養にならないために、十分な咀嚼機能を維持する必要があります。日ごろの食事で噛みごたえのあるものを取り入れることが、予防的な観点から非常に重要です。焼肉が食べられるだけの咀嚼機能を維持することが一般の方々にお話しできる目安ではないかと思っています。咀嚼機能を維持する、あるいは、咀嚼機能が低下した方々には低栄養にならない食事のあり方について、食品物性という点から各種アドバイスができるのではないかと考えています。健康長寿に対して、栄養や調理の立場から何ができるかが、これからの研究課題です。


■早稲田大学スポーツ科学学術院准教授 宮下政司先生

私たちスポーツの分野でも子どもの研究がまだ非常に少なくて、また医学的な研究においてもおそらく侵襲性、アクセスという点で研究が足りていないと思っています。何かしらの支援をしていくことを考慮すると、幼少期からの取り組みが重要ですし、子どもにターゲットを置くのは非常によいと考えます。
私としては、咀嚼回数などをより簡便に定量化できるデバイスが作られ、ICTも組み合わせてマスで定量的にまた簡便にアプローチできれば、より研究が進んでいくと考えています。
次に、咀嚼回数がどういった健康の指標になるか。運動生理学の観点で、運動と栄養の両方の視点からアプローチしています。私たちの研究室では一般的な食事を用いて、血中の濃度や食欲に関連するホルモンを調べています。通常は、食事のバランスや組成で体重がどう変わったか、BMIがどう変わったかを評価します。私たちはその間の基礎的なところで、たくさん噛めばどのように消化、吸収、代謝、最後の排泄までが行われるか、一連の過程を非侵襲的に見る手法をとっています。こうした手法を使いつつ、幅広い対処について研究できればと思っています。

※侵襲…生体内の恒常性を乱すこと


■株式会社ロッテ中央研究所チューイング研究部部長 池田なつき氏

宮下先生から噛む回数の測定ということで定量化というお話がありました。一般的によく噛むことがいいことだと言われていますが、なかなか行動に移せていないのが実情ではないでしょうか。しかし、自分がどれだけ噛んでいるのか、実際にどれだけ噛めばいいのかが数としてわからない、非常に抽象的な概念だというのが大きな原因の一つではないかと思います。私ども企業としては、咀嚼機器を開発して先生方のご協力を得ながら咀嚼回数などを具体化することで、一般の方にも噛むことイコール健康という概念が根づいて自分コト化できる、そのための情報も提供していきたいと考えています。


■東京医科歯科大学大学院歯学総合研究科教授 水口俊介先生

今日お話をうかがっただけでも、噛むことの研究手法に関して様々なアプローチがあると思います。
だいたい4~5回噛んで飲み込んでいる人が多いように思いますが、「噛むこと」を印象づけるためには、たとえば噛む回数を計る非常に手軽な機械が開発されるとか、歩数計のように今日自分が何回噛んだのかがわかるとおもしろいですよね。そうすると、食事を飲み込んでいた人も、もっと噛まないといけないと思うのではないでしょうか。
食事のとき、それ以外の時間の噛む行為をどう評価するかなど、「噛むこと」についていろいろなターゲットがあることが非常に明確になりました。今までの研究の論文などでは、食事のときの咀嚼回数に関するものが非常に多く、宮下先生が言われたようなことを定量化するのも、『噛むこと健康研究会』の一つのミッションだと考えています。
日常生活の中で、どういう状態のときの噛む行為が健康と関連するのか、整理して研究が進んでいくことで、『噛むこと健康研究会』がこの分野のリーダーとなることを期待しています。