毎日の食事で繰り返される「噛む」という行為。実は、人体の「バランス感覚」と密接につながっています。噛み合わせが悪いと、全身のバランスに影響を及ぼすといわれ、最近では、アスリートの世界でも噛み合わせを重視する人が増えているそうです。「噛み合わせ」と「バランス感覚」がどのように関係しているのか、スポーツ歯科医学を研究している石上惠一先生に、お話を伺いました。
そもそも「バランス感覚」は、目から入る情報(視覚)、内耳、皮膚から入る刺激が、脳で統合されて身体の位置を保とうとします。目は、あごの動きに負荷がかかると、「眼振」といって、眼球が痙攣(けいれん)したように動いたり揺れたり、目の動きをうまくコントロールできなくなることがわかっています。噛み合わせが悪い状態では、あごがゆがんで負荷のかかった状態が続くわけですから、眼振が現れ視覚情報が正しく入らなくなり、バランス感覚に影響するというわけです。
目や耳といった器官だけでなく、その影響は脳にも及びます。噛み合わせが悪くてきちんと噛めないと、脳内神経物質のセロトニンがうまく分泌されず、ストレスが増大したり、情動が不安定になったりすることもわかっています。
実際、私が指導したプロのアスリートのなかにも、噛み合わせを矯正したことでパフォーマンスを大きく向上させた人が何人かいます。
しかし、競技によっては、その特性から常に左右のどちらかに負荷がかかり、あごがずれて噛み合わせが悪くなることもあります。例えばスピードスケート。常に左回りに滑るので、あごが右側にずれる傾向があります。野球のピッチャーも、右投げなら左側に、左投げなら右側にと。
こうしたずれを予防するには、練習や競技が終わったあと反対側にクールダウンすることが大切です。野球でいうと、右投げなら左で投げるとか、右打ちなら左打ちのバットスイングをするとか。また第一線で活躍するプロゴルファーのなかには、練習後、必ず逆にスイングする人もいます。
気をつけるべきなのはアスリートだけではありません。スポーツクラブ等に入って小さなころから競技に取り組んでいるお子さんは、成長期に同じ動きを繰り返すことになるので、あごのバランスが崩れやすく、バランス感覚に影響が出る可能性が高まります。年に2〜3回、あごの動きを歯科で診てもらい正しいお口の機能の確立に心がける事が大切でしょう。
スポーツ時に限らず、高齢の方等が普段からマウスガードやスポーツスプリント等のオーラルアプライアンスを使用するようにすると、転倒防止にもつながります。
「オーラルアプライアンスをすると、階段が上りやすくなる」という人もいるぐらいです。
マウスガード(上)やスポーツスプリント(下)等のオーラルアプライアンスの例。高齢者の転倒防止につながることも。
オーラルアプライアンスは、個々の口や歯に合ったものでなければ正しい効果は得られません。日本スポーツ協会公認「スポーツデンティスト」の資格を持つ歯科で作ることができます。選手やスポーツ愛好家で噛み合わせが気になる方は、一度相談してみるとよいでしょう。
石上 惠一(いしがみ・けいいち)先生
東京歯科大学特任教授
日本オリンピック委員会(JOC)強化スタッフ・スポーツドクター
日本体育協会公認スポーツデンティスト
(2023年7月現在)
1979年に日本大学歯学部を卒業後、1986~88年までU.M.D.S.GUY’S HOSPITAL(UNIV.LONDON)に留学。東京歯科大学助教授などを経て、2001年より東京歯科大学教授(スポーツ歯学研究室主任)。1997年から日本オリンピック委員会(JOC)強化スタッフ・スポーツドクターを務める。日本補綴歯科学会指導医、日本スポーツ歯科医学会認定医ほか認定多数。顎口腔系の状態と全身の運動機能との関係について、幅広く研究を行っている。