唾液の持つ力

槻木 恵一(つきのき・けいいち)先生
神奈川歯科大学副学長大学院研究科長 大学院口腔科学講座環境病理学教授

私たちが1日に出す唾液の量は1〜1.5ℓにもなります。唾液には、食物を口の中で柔らかくして分解することで、胃の消化機能を助ける役割があります。
ほかにも唾液には、免疫力を高め、病気を未然に防ぐ成分もあることがわかってきました。風邪やインフルエンザなどの感染症や生活習慣病の予防、ストレスの軽減にも関係する唾液力。今あらためて、唾液が注目されています。

■唾液中の抗菌物質

唾液には、ウイルスや細菌などに対抗するためのリゾチーム、ペルオキシターゼなどさまざまな抗菌物質もたくさん含まれています。なかでも、唾液に最も多く含まれている抗菌物質が「IgA(免疫グロブリンA)」です。

私たちの体には免疫系という機能があり、また免疫には「獲得免疫」と「自然免疫」があります。
獲得免疫は、感染した病原体を記憶することで、同じ病原体に出会ったときに効果的に病原体を排除できる仕組みです。発動に少し時間を要しますが、過去に侵入したのと同じ病原体が侵入したとき、とても効果的に働きます。

もう一方の自然免疫は、体内に侵入した異物が未知のものでも、怪しいと判断したらいち早く排除する免疫機能です。
IgAは獲得免疫として機能し、体の免疫力向上のためにとても重要な物質です。それと同時にIgAは「交差反応性」が高く、幅広く似た病原体にも反応します。風邪やインフルエンザなどの感染症のほか、さまざまな病原菌やウイルスの脅威から私たちの体を守っていることがわかっています。

このように、唾液中のIgAは、異物が体内の器官などに侵入する前に、口腔内でブロックしてくれるのです。

■IgAの分泌には個人差がある

IgAなどの抗菌物質がたくさん含まれている唾液で常に潤っていることが、理想的な口腔環境ですが、唾液の分泌には個人差があります。一般的に、唾液は年齢を重ねると分泌量が減る傾向にあります。高齢者がよく「口が渇く」というのは、そのせいです。また強度の強い運動をした時や継続している時にも、唾液中のIgAの量が低下することがわかっています。

唾液の分泌量が少なくなれば、IgAなどの抗菌物質も減ってしまいます。つまり、ウイルスや細菌が侵入しやすくなるため、風邪やインフルエンザにかかりやすくなってしまうのです。また唾液の分泌が減少すると口内の自浄作用も低下するので、口腔内が汚れてむし歯や歯周病が発生しやすくなります。
風邪やインフルエンザになると、合併症として肺炎が起こりやすくなります。さらに歯周病菌などの病原菌を誤嚥してしまうと、肺炎の重症化を招きます。
このような生活におけるリスクを少しでも減らすために、唾液の分泌量を増やすことが望ましいといえます。

■唾液を増やすには

唾液の主成分は水分なので、量を増やすには小まめに水分を補給することが大切です。また大きめの食材をよく噛んで食べるようにすると、唾液腺に刺激を与えることができ、唾液が分泌されやすくなります。

食品では、抗酸化作用の高い食品を積極的に摂りましょう。活性酸素が増加することで、唾液量の減少につながると考えられていますから、それに対応できるタマネギ、青魚、オリーブオイル、モズクなどを摂ると良いと思います。

また、緊張やストレスがあると、唾液は出にくくなりますので、自分なりにリラックスできる時間を設けることを心がけるようにしましょう。リラックスできる時には唾液腺のある耳の下あたりをマッサージすることでより効果的に唾液の分泌を促すことができるのでおすすめです。

槻木先生のポイント解説!

唾液を効果的に増やすには、食事前の唾液腺マッサージがお勧めです。
三大唾液腺のうち「耳下腺(じかせん)」をマッサージすると、サラサラ唾液の分泌が促されます。「顎下腺(がっかせん)」をマッサージすると、IgAやネバネバ成分が分泌されやすくなります。

●耳下腺マッサージのやり方

耳下腺マッサージのやり方

耳の下のより少し前に3本の指をあて、円を描くように10回くらいさすって、やさしく刺激します。

●顎下腺マッサージのやり方

顎下腺マッサージのやり方

握りこぶしをあごの下にはめ込むようにして接触させ、首のほうからあごに向かってこぶしを動かします。これを10回くらい繰り返します。

■唾液腺でつくられる脳神経の重要成分

IgAに次いで注目されている唾液成分が、BDNFです。BDNFは脳由来神経栄養因子と呼ばれるタンパク質のひとつで、神経細胞をストレスなどのダメージから守り、再生を促す働きがあります。記憶を司る脳の部位である「海馬」に多く含まれていて、「脳神経細胞の栄養」と呼ばれるほど、脳の健康維持、ストレス耐性づくりにとって欠かせない重要な成分です。

唾液腺で産生されたBDNFは、血液を通じて体内を巡り、大脳にある記憶を司る海馬に移行します。ストレス発生時には海馬におけるBDNFの量は一時的に減少してしまいますが、唾液腺でつくられるBDNFの量は増えるので、唾液や血中での濃度が上昇することによって脳のストレスを回復、強化するのです。

さらにBDNFが、抗うつ作用を持つGABA(ガンマアミノ酪酸)という成分を増やすこともわかっています。これらのことから、唾液腺からのBDNF産出量を増やすことは、うつ病などの精神疾患にかかるリスクを抑えることにつながる可能性があると言えます。

■唾液の分析でわかること

唾液は血液と互いに循環し合い、体の健康維持にとって重要な成分を含んでいます。そして多くの研究機関がその成分に注目し、血液検査と同じように体の変化を捉えるセンサーとして唾液を役立てようとしています。
・HIV感染の有無
・ストレスチェック
・すい臓がん検診
・前立腺がん検診
・虫歯リスク
・歯周病リスク
・更年期障害の進行の度合い

唾液検査は患者さんにとってもメリットが大きい検査方法です。
痛みを伴わない、手軽かつ何度も採取可能、検査結果も比較的短時間で出ます。血液検査では判明しづらい疾患が、唾液検査でわかる場合もあります。近い将来には、健康診断で唾液検査も実施される日が来るかもしれません。

とはいえ、まずは自分の身体の健康を維持することが大切です。
唾液の重要性を理解し、健康維持に役立てていただければと思います。

槻木 恵一(つきのき・けいいち)

神奈川歯科大学 副学長 大学院研究科長
大学院口腔科学講座環境病理学 教授
(2023年7月現在)

1967年12月東京生まれ。歯科医師。2007年4月より神奈川歯科大学教授。専門は環境病理学。神奈川歯科大学副学長、大学院研究科長。テレビなどで口腔ケアの重要性と唾液の働きを唾液力と命名しわかりやすい解説が好評を得ている。フラクトオリゴ糖の継続摂取により生じる唾液中IgA増加メカニズムとして、腸管内で短鎖脂肪酸が重要な役割を果たす腸-唾液腺相関を発見し、唾液腺健康医学を提唱している。日本臨床口腔病理学会理事、日本食品免疫学会などに所属。著書に「がん患者さんの口腔ケアをはじめましょう」(学建書院・共書)、「唾液サラネバ健康法」(主婦と生活社)ほか、日本医事新報社「識者の眼」で連載をしている。