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2021年4月22日に香港で発行された“香港懷舊小食/LOCAL SNACKS IN HONG KONG”の切手のうち、「菠蘿油」を取り上げた1枚

網目の模様を入れて焼いたクッキー生地をパン生地に載せて焼いたパンを、日本では“メロンパン”と呼んでいますが、香港や台湾では“パイナップルパン”を意味する“菠蘿包(ポーローパウ)”と呼ばれ親しまれています。

現在のメロンパンのルーツについては諸説ありますが、一般には、1910年頃、ロシア帝国の宮廷料理人だったイワン・サゴヤンが、フランスの焼き菓子ガレットを元に考案したとされています。

欧州大陸のパンの製法に通じていたサゴヤンは、ロシアの宮廷でさまざまな技法や食感のパンを組み合わせるオリジナルのパンを考案。その後、満州(現在の中国東北部)のハルビンのホテルニューハルビンに移って活動していたところ、明治の財界人、大倉喜八郎に自身が創業した帝国ホテルにスカウトされ、日本にメロンパンの技法がもたらされました。

サゴヤンは、このパンを“メロンパン”とは呼んでいませんでしたが、1930年代以降、丸い形状と格子状の模様を、大正時代に日本に入ってきたマスクメロンに見立てて一般的に“メロンパン”と呼ばれるようになり、それが定着したといわれています。

ただし、地域によってはラグビーボール形のメロンパンがあるそうで、呼び名も異なることがあるとのことです。

メロンパンにはないアレンジメニューも

さて、日本のメロンパンと似た形状のパンは中国大陸でも外国人の多い都市を中心に多く存在しています。中華圏世界では当初、“俄羅斯包(ロシアパン)”と呼ばれていました。おそらく1917年のロシア革命後、旧満州や上海などに逃れてきたロシア系の職人たちがもたらしたパンが、名前の由来なのではないかと思われます。

香港ではすでに1910年代には俄羅斯包が作られていたとの記録がありますが、そのころの香港で売られていたパンは甘みの少ないものが主流でした。いわゆる菓子パンが香港で大衆向けに販売されるようになるのは1930年代以降のことで、これに伴い、格子状の模様の俄羅斯包をパイナップルに見立てた菠蘿包と呼ぶようになり、香港で定着していきました。

日本の一般的なメロンパンにメロンの成分が入っていないのと同じように、一般的な菠蘿包にもパイナップルの成分は入っておらず、主な材料は砂糖、鶏卵、小麦粉、ラードです。

日本のメロンパンでは、表面のクッキー生地はしっとりと柔らかく焼いて砂糖をトッピングしていますが、日本よりも湿度の高い香港ではカビの発生を防ぐため、菠蘿包の表面は堅焼きにして砂糖はまぶさないのが基本です。台湾で、日本のメロンパンよりも香港式の菠蘿包が広まったのも、やはり気候条件の影響が大きかったのでしょう。

菠蘿包はそのまま食べても十分においしいのですが、ココナツを詰めた椰絲菠蘿包(イエスー ポーローパウ)、小豆餡(あん)を入れた紅豆菠蘿包(ホンドウ ポーローパウ)、カスタードクリームを詰めた奶黃菠蘿包(ナイホァン ポーローパウ)、パイナップル餡入りの菠蘿菠蘿包(ポーロー ポーローパウ)、ランチョンミートを挟んだ餐肉菠蘿包(ツァンロウ ポーローパウ)、チャーシュー餡入りの叉燒菠蘿包(チャアシャオ ポーローパウ)などのさまざまなアレンジメニューがあります。なかでも、定番中の定番は、焼きたての菠蘿包に切り込みを入れ、厚めにスライスした冷たいバターを挟んだ“菠蘿油(ポーローヤウ)”で、2021年に発行された“香港の昔懐かしいおやつ”の切手にも取り上げられました。

切手に取り上げられた菠蘿油はお皿にちょこんとのせられていますので、茶餐廳(チャア ツァン ティン=軽食も食べられる喫茶店)で出てくるものをイメージしているのでしょう。なお、菠蘿包や菠蘿油は大牌檔(ダーパイドン=屋台街)でも定番のメニューで、その場で食べる人も多いのですが、その場合には紙に包まれて出てくるので、切手のデザインとしてはちょっと描きづらいということもあったのかもしれません。

内藤陽介(ないとう・ようすけ)
郵便学者。切手をはじめ郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し、研究・著作活動を続ける。著書に『日の本切手 美女かるた』(日本郵趣出版)、『みんな大好き陰謀論』(ビジネス社)、『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』(扶桑社)など多数。
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